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【映画】終戦のエンペラー見てきました!

 7月27日から公開がはじまっている、映画「終戦のエンペラー」を見てきました。奇しくも今日は終戦記念日の8月15日。

 

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あらすじ

 終戦を迎えた日本は、GHQ総司令官マッカーサー指導のもと急速に民主化の道を歩み始めます。そこで問題になったのが、日本の「天皇」の処遇をどうするかということ。アメリカ本土は天皇に戦争責任があることを明らかにして、処刑することを臨みますが、GHQは天皇が日本国民の精神的支柱であることを知り、これを処刑することが以後の民主化に大きな影響を与えると考えます。そのため、本当に天皇に戦争責任があったかのかどうかを明らかにして、その大きな選択を道徳的に解決しようと奔走します。

 

 結末としては、以後の歴史が示すように「天皇」には戦争責任がないとして、処刑を回避し、日本が降伏の条件に挙げた「天皇制の継続」を認めて、天皇を国の「象徴」とするように日本国憲法に定めます。

 

 この映画の原題は「Emperor」。邦題にするなら「天皇(皇帝)」かそのまま「エンペラー」なのですが、わざわざ”終戦の”をつけた意味が不思議です。おそらく日本人にとって「エンペラー」=「天皇」という考えがパッと思いつきにくいものなので、「終戦の」をつけたものだと考えられます。さらに「終戦の〜」っていう題名は既視感があるし。一方で、原題が「エンペラー」であることも驚きです。それは、アメリカにとって現在「エンペラー(皇帝)」という日本の天皇のことを指していることを思わせるからです。英単語のEmperorは日本の天皇という意味を強く帯びてきているのでしょうか?

 

 この映画を見ると、アメリカからみた太平洋戦争観、日本観というものをひしひしと感じます。当時の日本は彼らにとってわからないことだらけで、そしておそらくこの考えは現在も続いていると思わせます。作中、昭和天皇は直接的な弁明をさけて、自らの想いを伝えようとするシーンが出てきます。これが天皇が戦争に関わったかという直接的な証拠が残ることを困難にしてGHQの捜査を難航させるのですが、また別なシーンでは日本の「本音」そして「建前」についての説明がなされます。さらに、日本国民の天皇に対する強い想い、天皇のためという大義のためなら果敢にも、残酷にもなれるといった描写も出てきます。

 

 当時の日本人のこのような非常に強い天皇観も自分も日本人ながら驚きました。というか、これホントかよ?と思ってしまう程でした。天皇が処刑されたら、日本全国で反乱が起こるだろう。日本国はさらなる混乱に包まれる・・・このような可能性をGHQが考えていたというのです。自分は当時の日本人ではないのだから、当時の本心を知る由はないのですが、今の社会だったら絶対にこんな関心ごとにはならないだろうことは想像できます。

 

 事実、本日のニュースでも終戦記念日を答えられるかどうかという世論調査で3分の1の国民は8月15日が答えられないとありました。少しずつ、戦争の重さが国民の心から離れているのは事実なのでしょう。

 

 映画の表向きのテーマは民主化した日本とアメリカの和解もしくは対話であると思います。しかし、どことなく、アメリカが今も日本の天皇という存在を恐ろしく思っていることが伝わってきました。

 

 これを見たアメリカの方々は、いったいどのような感想を抱くのでしょう・・・。このごろはストーリー中心の映画ばかり見ていたので、何か考えさせる映画も久々に良い物でした。