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信仰離れ進む日本?

1/24 読売新聞にこんな記事が載っていた。以下全文。

信仰離れ進む日本

 日本では宗教を信じる人は、減少傾向にある。寺や神社が身近な存在だった伝統的な生活習慣が変化していることが背景にあるようだ。統計数理研究所(東京都)の「日本人の国民性調査」によると、信仰があると答えた人は2008年、1978年より7ポイント減って27%となった。「宗教的な心」が「大切」と答えた人は08年は69%で、83年に比べ11ポイント下落した。逆に「大切でない」は11%から19%に増えた。日本人は古来、万物に神が宿るとみなして、神社などにまつり、心の支えにしてきた。しかし、読売新聞が05年に行った世論調査では、「幸せな生活を送る上で宗教は必要か」という問いに、60%が「そうは思わない」と答えている。宗教専門家の多くは、こうした傾向について、地域社会は以前、寺や神社を一つの核として形成されたが、今や核家族化が進み、地域での人間関係が希薄になり、宗教との距離が広がっていると見る。親戚が勢ぞろいして墓参りに行ったり、三回忌などの「年忌」を行ったりする人が減っているのは、その実例だ。

 

まとめると、調査により「宗教を信じている」の割合が下がり、「日常生活に宗教を必要とする」と考える人々が減ってきたので日本人の信仰心が薄れている、というのだ。これを読んで非常に違和感を感じた。

 

新渡戸稲造は「武士道」の冒頭、外国人の「なぜ日本には宗教が広く信仰されていないのに、道徳心を養うことができているのか」という問いに答えるために考えた結果日本人が道徳心を身につけているのは武士道という考えがあるからだと考察している。武士道の教えの多くは仁や義、恥など一見宗教的要素が薄いように見える。しかし新渡戸は第一章で武士道の源流は仏教の諸行無常観と儒教の五倫にあると書いている。

 

私たち日本人の多くは今、自分の道徳観を形成しているものが宗教に依っているとは考えていないかもしれない。しかしその源流は間違いなく仏教や儒教などに依っていて、実際に長幼の序や夫婦の別は我々の生活に深く結びついている。日本の文化は恥の文化だと言われるがそれは、古来から万物には神が宿る、神様はどこからか必ず見ている、という誰もが幼少期に言われたであろう言葉の裏返しであろう。

 

さらに現在の私たちも神様を祭っているとは意識しないまでも、大晦日には名のある神社に大挙して押し掛けているし、どの都市にも伝統的な祭が存在している、さらには秋になると日本各地で食を中心にしたイベントが開かれている。これらの祭の多くは元々は五穀豊穣や子孫繁栄などを神様に祈る宗教的な意味が強いものだっただろう。 

 

100年も前から「信仰心が薄れていた」日本人の信仰心がさらに薄れているという冒頭の結論は、むしろ日本人の信仰心がさらに道徳の深くに潜り込んでいて、我々自身も気づかなくなっていると考える方が自然ではないだろうか。日本人の信仰心は「おもてなし」などの道徳心の高さから今だ非常に高くあると言えるのではないか。

武士道 (岩波文庫)

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