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農薬混入事件から考える日本社会の闇

  この数日、昼のワイドショーで阿部容疑者の名前を見ない日はない。事件の概要は大まかに「冷凍食品に毒物混入」→「中毒者の発生」→「冷凍食品会社の役員辞任」→「被疑者の発見」というところだ。テレビのコメンテイターの発言、新聞のオピニオン欄には被疑者の素行の悪さや行動の特異さのバッシングに溢れている。しかし事件を起こした原因は本当に被疑者自身に集約されるのだろうか。


  人類の歴史の中でその人ただ一人の存在が歴史的に大きな影響を与えた例は存在する。アレキサンダー大王やキリスト、釈迦、ヒトラースターリンなどが挙げられる。しかし今回の被疑者がこれら人物の仲間入りが出来るかは甚だ疑問だ。

  今回の事件動機は被疑者が勤務していた会社の「給料の低さ」や「社会への不満」が発露した結果であろうと言われているが、もっと究極的な原因は何なのだろうか。

  それは思うに現在日本の社会構造にある。高度成長後、国民総中流社会と言われ国民間の格差が少なかった日本は現在、民主主義の原則に従い、富の集中が進み国民間の格差が開いていると言われている。つまり「富める者が更に富み、貧しいものは更に貧しく」である。当に「持てる者はますます持ち、持たざる者は更に失う」という言葉を体現している。

  このように人々間の差がひらけば社会の不安が増すことは想像に難くない。持てる者は持たざる者からの奪取を恐れて武装し、持たざる者は周囲の人々を信用しなくなり攻撃性が増してゆく。結果「社会の治安は悪化する」。同様のことは江戸時代の日本でも、中世のフランスでも起きている。

  今回の事件はこの社会不安の芽が開き出したに過ぎない。潜在的に同様の事件が起こる可能性は非常に高いと考えられる。つまり今回の被疑者を逮捕したところで根本的な事件の収束には至らないだろう。

  アベノミクスや企業のベースアップはこの問題の解決に一躍買うだろう。しかし最も重要な解決策は「人を補充可能な資源と見るのでなく、人を大切に扱う社会の創生」だと思う。

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